doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

土手道さんぽ

 

 

 ようやく梅雨が明けた気配がする。

 なので、朝の内に土手道を歩くことにした。そして約1週間、朝なのにもやもや暑いので、既にして夏バテのような気分になった。まあ、こんなに早く夏バテすることはないだろうから、体力が枯渇している、ということだろうと思う。

 

 朝、自然に目が覚めて6時ころ歩き始める。人通りが少ないのでマスクを外して歩く。4回目の、効くのかどうか怪しいワクチン接種が終わったので、まあ大丈夫だろうと高をくくっている。コロナは政府も行政も無策だから、自分の身は自分で、罹患したら人のせいにしないで自分の責任だと諦めよう。  

 

 

 土手の草地は、いま赤爪草ぐらいが目立つだけで、花の端境期なのだろうか、せいぜいヤブカンゾウノカンゾウが少しだけ見られ、おお! 夏らしいではないか! 尾瀬ニッコウキスゲ花盛りだろうなあ、と遥かな尾瀬を思ったりした。

 

 そのほかは夏草がたけり狂うばかりに生えて、特に葛の葉っぱが土手の舗装の上までにょろにょろ浸食し、その先端が思うままに踏みつぶされても、一向に気にする気配がなく、その厚かましさにいささか辟易して通り過ぎる。

 

 

 土手の花は少ないが、人はさまざまに通り過ぎてゆく。土手道の真ん中あたりにベンチがあって、そこで一服するのだが、ここによく痩せた老人が休んでいることが多い。老人はしばらくして立ち上がるや、やおら半歩ずつ足を出して、歩くとも走るとも知れない歩みを始める。

 背を丸め、首を前方に突き出し、ひょこひょこと足を半歩ずつ前に出す。半歩ずつだから歩くより無論遅い。彼の中では走っているつもりなのだろうと思う。彼なりのせい一杯のジョギングだろうと思う。見ていて、頭が下がる。偉いなあ、頑張ってくれ、と心の中で応援する。

 

 若い人は概ね軽々と走っている。特にすらりとした若い女性は、苦しそうな影さえ見せず、流れるように走り去る。服装もどんぴしゃりと決まっているが、中年の女性となると、こうはいかないようだ。日に焼けないように重武装だし贅肉もあるし、走るのがいかにもつらそうに見える。

 

 中年の男で、いかにも走り慣れた、という感じの人に時々会う。引き締まった長身を真っ直ぐ立てて、わっせわっせという感じで走る。たぶん、毎日走らないではいられないのだろうと思う。もう体に沁みついているのだろう。

 

 

 

 

 歩いている人が一番多い。思いつめた表情の人も居るし、悠揚迫らざる感じの人もいる。そして、自転車でひゅ~~っと走る抜ける人も多い。かくのごとく土手道を利用する人は案外多い。と言っても、込み合うほどではない。

 

 なので、この時期に土手の草むらから、よちよちと這いだしてきたカタツムリの子供(だろうと思う)が、あわれ、舗装の上で踏みつぶされているのを多く見る。去年もそれを見て哀れに思ったが、今年も同じようなものを見ることとなった。

 

 カタツムリではないのかもしれないが、姿かたちはそっくりで、ただとても小さいだけだから、ジュニアだと思うのだが、なぜ彼らはわざわざ舗装の上に這いだしてくるのか? 大人になるための、彼らの旅立ちなのであろうか?

 

 

 土手道さんぽがいつまで続くか、本人さえ分からない。

 ただ、この暑さでは当面どこにも行けないように思う。

 だから続くだけ続けようと思う。