doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

遥か出雲へ② (新潟・糸魚川)

 

 

 長野県・白馬村の八方温泉にドボンした後、さらに北に向かう。

 小谷村に入ると両側から山が迫ってきて、谷底のように狭くなった。姫川に沿って大糸線と絡みながら走る。この街道は塩の道と言うそうで、「牛方宿」などという、ちょっと見てみたいと、そそられる個所もあったが立ち寄る余裕がない。

 空は曇っているが、山肌の緑がひときわ青々としてる。ときおり見える姫川の流れは浅く、そして澄んでいた。道沿いに数軒の民家が寄り添うようにして、小さな集落が点々と続いている。こころに沁み入るような、しかし寂しいような眺めが続く。

 

 だがスノーシェルターが次々と無暗やたらに現れきて、それがどこまでもどこまでも永遠に続いているように思えた。スノーシェルターがやっとこさ途切れて糸魚川市に入る。小谷村とこの地域はまた、土石流、山崩れの頻発するところでもあるらしい。

 何度も何度も山崩れが発生し、そのたびに多くの犠牲者が出ているという。フォッサマグナがここを通っている、その影響だろうか。それでもまたこの地域に棲まねばならない人々のことを、車の中でちょっとばかり想った。

 

 

フォッサマグナパーク

 フォッサマグナパークの場所はわかりずらかった。だいぶ行き過ぎて、変だぞ、となって引き返したら、道路沿いに青っぽい幟が4,5本建っていて、そこがフォッサマグナ露頭の入り口、山ぎわの道路沿いを少し平らにして、5,6台の駐車スペースがある。

 細い道を山に向かう。折り悪しく霧雨が降りてきたが濡れるほどではない。木の葉っぱが青々ときれいだ。10分ほど行くとそれはあった。岸壁が露出し、真ん中あたりが少し色が変わって白い筋のように見える。その両側は同じような茶色である。

 


 説明板はいろいろあったが、読んでも今ひとつよく分からない。あの白っぽいのがフォッサマグナなのだろうか? 近くば寄って目にもみよ、とやってみたが、それでも分からない。あの崖上の「東」「西」は東日本岩盤、西日本岩盤ということなのか?

 頭が悪くてよく理解できず、帰宅後にネットした。それによれば、フォッサマグナの破砕帯は幅60㎞に及び、その西の端っこがこの露頭であるという。なるほど、だから「西」は西日本岩盤、「東」は破砕帯そのもの、と理解した。頭、悪りいなあ。

 

                         (写っている人は他人様である)

 

 それでも破砕帯が形成された「そもそも」がよく解らないが、今でもアメリカ、フィリピン両プレートが押し合いへし合いやっているそうだから、その上にある地面はぐずぐずと揺さぶられ続けるのだろう。いやはや、変てこりんなものが日本にあるものだ。

 

 

フォッサマグナミュージアム

 糸魚川市街が目の前に開けてきて、丘陵の中のフォッサマグナミュージアムへ行ってみた。またフォッサマグナかよ! ということになるが、この奇怪で珍しい地質を少しでも知りたいと思ったのだ。展示物は石ころだけだったが・・・

 中に入ると、ヒスイのでかい塊やら、なにやら宝石のような石やら、古代の海の生き物の化石やらともかくごっちゃりと展示してある。とてもとても、丁寧に見て歩くわけにはいかない。残念ながら流し見しかできない。

 

 

 ヒスイは、なるほど淡くかそけき色合いが奥ゆかしくていいなと思った。展示してある石ころを一つポケットに入れて、自分の机にゴロンと置いて毎日眺めたら、あてどない、つまらないこころも少しは落ち着くかもしれない。

 

 

 破砕帯からこんなきれいな、宝石の如き岩塊が生まれ出る、というのも不思議なことだ。自然は、時として人知の及ばないようなことを平気でやってしまうようだ。しかしながら、金にこれっぽっちも縁がない身ゆえ、宝石なんぞは慮外のまた外である。

   

 

 破砕帯にこんな古代の海の生物の化石がある、という言ことは、海だったわけであり、という言ことは、本州はここで二つに分かれていたことになり、それぞれ、西日本島、東日本島だったことになるのだろうか? 想像さえできない。

 これら全部が、破砕帯からの産出物なのだろうなあ。予備知識が全くないうえ、説明板を読んでいる余裕がなく、まことに浅薄な見方しかできない。なんだナ、こういう急ぎ足の旅行は、あとに残るものが何もないよなあ。

 

 

糸魚川市

 ミュージアムの山を降りて行くとすぐさま日本海の渚になるようだ。小さな、可愛らしい街なのだろう。今宵の宿は怪しき建物であって、最初見つからなかった。ようやく探したが、なんだか閉店している店屋のような佇まい、大丈夫か??

 入口が空いていたので中へ入ってみたら、土間にガラクタが所せまし、カウンターのようなものがあったので大声で呼んでみたが、誰もいない。しばらく呼ばわっていると、どこかから幽霊のようにお婆が現れた。

 

 同行者が話をして(幽霊お婆だが、話好きのようだ)、泊まれることは泊まれるらしい。今夜この土間でライブがあるから見ろ、という。それはともかく、部屋は土間の後ろの奥の方の、妖しき入り口を入ったところである。

 6畳くらいの部屋と4,5畳ほどの二間、狭い台所が付いている。同行者が言うには、ここは専ら外人の長期滞在者用の安宿らしい、ということだった。まあ、なんでもいいや、寝られりゃ文句なしだ。

 

 夜、表に出てみる。駅が近いのに、まず人が歩いていない。えらく静かである。薄暗い路地は、近くの日本海の夜霧の中に沈むこんだように物音がしない。ヒスイの石ころのように、淡く静かにかすかに息づいている街だ。

 居酒屋に入る。地酒がきりっと立ち上がった味わいで旨い。真っ黒の焦げ尽くしたような魚も初めてだが、旨かった。街のたたずまいは、至ってかそけきものだが、食うものは個性があって存在感をきっちりと持っている・・・ようだ。

 

 

 旅行で夜の街をぶらぶらするのは楽しい。

 地元の人と話をするともっと楽しい。

 今回の旅はそのようになるのだろうか。