doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

遥か出雲へ④ (福井・丹後)

 

 

 

福井の夜

 夕刻になって金沢に別れを告げ、福井に向う。小松を過ぎて山並みを越えた。

 福井の宿は、インターチェンジからほど近い市の郊外、周りは殺風景で大きな道路に車がぶんぶん走っているほかは、なにもなさそうだ。これはまいったなあ、肝心の居酒屋がないではないか!

 夕闇が落ちるころ宿から出てみる。飯屋が一軒とドン・キホーテがある。飯屋に入り機械注文方式に狼狽え、背後に人が並んであせりつつ、何とかビールと定食を確保、もそもそと飲み、かつ食った。

 

 今夜はホテル居酒屋を開店するしか手がないなあ、とドンキで酒を買ったら、異なことに、「ボウモア」があった。随分高いが、いいや買っちまえ、と他にホワイトホース、乾きもの、干しブドウとともに部屋に持ち帰る。

 ボウモア村上春樹の本で知ったが、スコットランドアイラ島特産だそうだ。アイルランド原産だとおおきに勘違いして覚えていた。飲んでみるとシングルモルトだからか、40度ばかりなのにビリッと強い口当たりがある。同行者が「正露丸の匂いだ」と言った。村上春樹は「磯の香」と書いている。正露丸か磯臭さか、判然としなかったが癖になりそうな酒であった。部屋で大宴会して寝る。

 

 

一乗谷・朝倉遺跡

 さて、翌日、一乗谷に向かう。広々とした福井平野を後に東南側の丘陵地に分け入っていく。すぐそこかと思っていたが、案外距離がある。やがて谷底のような地形になり、朝倉氏遺跡を見落としてしまい、山の中に突っ込んで、引き返し遺跡に到着。

 

 

 狭い谷間の僅かな河岸段丘の平地に、復元された遺跡が並んでいる。まだ時間が早いせいか、誰もいない。ああ、ここがそうなのかと思う。朝倉孝景を創始とし5代100年、戦国大名として越前を治め、遂に信長に滅ぼされた一族の館と城下の街並みが、こんな狭い空間にあったんだなあ、と周りを見回した。

 それらの栄華と夢が土に埋もれ、忘れ去られていたが、1971年発掘され、当時の街並みが復元されている。当日は残念ながら、まだ朝まだきのため復元町並みへ入ることが出来なかった。道路際から屋根だけ眺めた。しかし館跡や庭園はじっくり見た。

 

 

 館に入る門が復原されている。なんだか朝倉5代の怨霊が、門の裏側に潜んでいるような雰囲気がする。中に入ると館の礎石が整然と並んで、随分大きな屋敷だったんだと分かる。小さいながら庭園跡もあり、泉水が今も流れている。

 

 

 谷間の僅かな平地を切り開いて、館と城下町並みを造り出していたことがよく分かった。それにしても、隣に広い福井平野があるのに、なぜこんな狭い土地に? と思った。察するに、ひたすら守りを固めたかったのではないか。時は戦国、いつどこからどう攻められるか分かったもんじゃない。そう考えると大変な時代だったんだ。 

 朝の清々しい空気の中、朝倉氏遺跡を歩き回って一先ず満足した。こういうのはもっと時間をかけて丁寧に見るべきだとつくづく思う。何しろ遥かなる出雲へいくのであるから、出雲に着くまではいつも追いかけられるような気がしている。

 

 

 

越前町・剣神社

 ここから長駆して越前海岸へ。鯖江市を横断し、海を隔てる山の中の越前町で、予期せぬ偶然で「剣神社」に突き当たった。せっかくだから見学する。案に相違して立派な社殿がある。由緒深い神社なのかもしれない。

 境内に「戦国武将・織田一族発祥地」の石碑があった。織田、と言えばあの信長の織田だろう。へ~え、そうなのか! 知らなかったなあ。旅の途中でたまたま出会った場所だけれど、なんか儲けものをしたような気分だ。

 

 

 


越前海岸・北前船主の館
 そこからまた峠道を登って下ると日本海に突き当たった。山と海に押し込められた海岸沿いを少し北に進み、景色のいいところで海を眺める。青黒いような凄い色をした海面にウサギが飛び、晴れた空に点々と白い雲が流れている。風が強い。

 曲がりくねった海っぱたの道、荒々しい岩礁、どこかで見たようなと思ったら新潟・山形の「笹流れ」の眺めにそっくりだ。日本海側の景勝地はどこも似ているのかもしれない。こころが晴れ晴れする。

 



 引き返して海っぱたの道を南下していく。左側の山が押し寄せて、道は山の凹凸のままにくねっている。道脇に侘し気な家屋が数軒並び、時として家が連なる細い道を進む。陽は明るいが、無人の集落のようにしんとして人影もない。これがもし、冬だったらどんなにか寂しい道なのだろうか。ぼんやり眺めていると旅情が纏綿と湧き上がってきた。

 

 はるか向こうの海の上に敦賀の街並みが見え始めたころ、またしても偶然に「北前船主の館・右近家」なるものが現れた。母屋は資料館になっていて、いま団体さんが山盛りだ。後回しにして裏山に上る。眺めがいい。

 下りてきたら、東屋でお婆さんが二人、おやつタイムをしていた。この資料館で草取りや掃除などしているという。この地で生まれこの地で育って、ほかで暮らしたことはないという。丸顔のしわ深い笑顔が穏やかだ。

 団体さんが帰った母屋に入ってみた。さすがに豪勢な構え、北前船というのは儲かったんだなあと感心する。どこで生まれてどこで育っても、やる人はやるのだなあ、ここの創業者も才覚と努力でのし上がったのだろう、頭が下がる。

 

                              (写真下部、瓦葺の家並みが右近家)

 

 

三方五湖

 敦賀を過ぎて、三方五湖を山の上から眺めてみたい。地上から眺めていてはその良さが分からないと思う。というわけで尋ね訪ねて山に登った。手前の樹木が邪魔だったが、むろんどれがどの湖なのかは分からない。

 分からないけれど、眺めは美しかった。民家の左手に湾曲している薄青い水の色は、あれは日本海だろうか。一番手前の群青の湖面に吸い込まれるようだ。山の麓に寄り添うように民家が点在している。あそこで人々は生きてきたのだと思うと、なぜか愛おしいような思いがした。

 

 

 

 小浜で昼飯。大きなフィッシュセンターのような店で、やたらサバを売っている。なぜだと聞いてみたら、おばちゃんが「鯖街道だからよ~」と言った。で、サバ定食を食ったが、旨くない。だいたいこんなもんだと諦め、天橋立へ。

 

 

天橋立

 天橋立。有名である。有名であるから期待はしなかった。松原の中に砂浜が伸び、その中を三々五々歩く人、自転車で先っぽまで走ったらしい人。少し歩いてみたが、周りが見えず、ナンダカナと思う。海側に出てみるとわずかに松原の先が見えた。

 

 

 

丹後半島・伊根の舟屋

 さーて、いよいよ伊根の舟屋だ。夕方になったけれど、ここは何が何でも暗闇になろうが何だろうが、見たい! 行ってみたいなと思ってから幾星霜、いよいよなのである。丹後半島の車の少ない道路を長閑に走って先端近くへ行く。

 駐車場が分からないので道の駅に目的地を設定したのだが、入口が分からず通り過ぎてしまった。海岸に降りて行くにしたがって狭くなり、車一台やっとこさとなってしまい、あわわわ! 道行く人をひき殺してしまいそうだ。

 止むを得ないからそろりそろり降りて行くと、海っぱたに小さな駐車場があった。やれやれ、助かった。冷や汗をぬぐって降りてみたら、人が大勢うろうろしている。若い女性が多いのは、これは意外であった。地味で茶色の風景なのに。

 

 

 舟屋は遠くにも近くにもある。周り中舟屋だらけである。こんなに舟屋があっていいものか、と思うぐらいある。周りに観光客が多いけれど、皆静かに海を眺めている。この景観そのものが、ひたすら静寂である。

 陽が陰り始めた海は穏やかに揺蕩って、岸辺に小さな波を寄せる。さざ波が夕方の光をきらきらと照り返している。遠くの舟屋群はまだ夕日の中にある。近くの舟屋は海明かりの中に静かにたたずんでいる。

 


 それにしても、と思う。それにしてもこの光景は、完璧に昭和時代のものではないか、それがこんなにも多く残されているのは一体どういう理由だろう? 「歴史的建造物群保存」というくくりで見られるのは、ほんの少しばかリ残され維持されている景観であるのが常だが、ここは見渡す限り歴史的建造物である。どんな力が働いてこの特異な住居群が残されているのだろうか?  

 



丹後半島トホホな夜

 ということで、また後ろ髪をかきむしられる思いで(だから禿げた)、舟屋群を後にした。今夜の宿はこの丹後半島のど真ん中の山奥にある。この旅では唯一二食付きだから少々高いけれど、安心してくれ、と宿泊予約担当が言う。

 海っぱたからくねくね山道を登ること訳20㎞先、「京丹後スイス村」とかいう宿に向かう。麓の集落が途切れると、道はいよいよ細く曲がりくねり、どこか異郷へ行っちまうのじゃないかと思われる頃、道のど真ん中になにかいる!

 

 なんだあ! と目を凝らすと、なんとまあ、鹿だ! 5,6匹群れて呑気に草など食っている。あまりの意外さに声もなく、目を丸くし、顎が外れるほど口を開けて、もちろんシャッターも切れずに見入ってしまった。

 ややおいて、こちらの存在にようやく気付いた鹿は、慌てて森の中に逃げ込んだ。シカし、体つきが小さかったから子供なのか、はたまたキョンなのか、いずれにしろ、こんなものがわらわら居るとは思いもしないことである。

 

 

 ようやく建物が見えた。それはビジターセンターであり、聞くともっと上へ行けとのこと、周りが低くなって天辺と思われるまで登ってもそれらしき施設が見当たらない。すると後ろから軽トラックが来て先ほどのあんちゃんが現れ、誘導した。

 宿の建物と思われるものは、楕円形の5階建、近代的なビルである。中に入って受付すると、あんちゃんは今夜は素泊まりで、と言った。えっ、ええ~っ! 聞いてないよう! 宿泊予約担当とあんちゃんとの交渉が始まる。

 ややあって、宿泊担当が「勘違いしたかな?」と。ならば今夜何か食うモノは? とあんちゃんに問えば、ない! 何もない! とにべもない返事。どうにもこうにも、むろん二食付きをあてにして食うモノは持ってきていない。かといってこの山道を麓まで戻る元気はない。

 仕方がなければやむを得ない、こんやは欠食児童(じじい)である。辛くもウイスキーの残りはある。こんやはこれをぶっ食らって、涙でぬれる旅枕、無理無体に、どうでもこうでも寝ちまうしかない。やけ酒の夜は静かに過ぎていった。

 

 

 突然鹿が現れて、なんだオメエは!? と言ったり

 今日は夕飯抜きでんねん、と言われたり、

 予期せぬことが起きて、だから旅は面白い。