doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

遥か出雲へ⑦ (帰ろかな~)

 

 

出雲よさらば 

 今までずっと、西へ西へと向けていた車の舳先を東へと反転した。

 意外に広い出雲平野を横断し、宍道湖の南岸を走る。宍道湖畔の一般道路をゆくのだとばかり思っていたら、ナビが勝手に有料道路に入ってしまった。山陰になってしまって、宍道湖は見えない。ナビというやつはバカだなあ。

 出雲は海のまほろば たたなづく島根半島 海こもれる 宍道湖うるわし

さらば、である。もう生きている間には来れないと思う(と言って、死んでからも来れないけど)。来れないけれど、このまま変わらずにあってほしいと思う。

 

 

足立美術館・・すごい!

 鳥取県に入ろうかというあたりで有料道路から下に降り南下する。足立美術館宍道湖東端の安来市の山あいにある。二車線の道路を山の奥の方へと入っていくと、山に挟まれた狭い集落が現れる。山の緑がきれいだ。

 「足立美術館⇒」の案内板に沿って行くと大きな駐車場に入った。乗用車のほかに観光バスが何台も駐車している。これは相当な人なのだナ、わあわあしなければいいがナと思いつつ、玄関に廻った。

 玄関先の庭、そのものがすでにして十分に見ごたえがある。白砂の枯山水、中島にかかる石橋の趣、松の緑の清々しさ、苔が覆う地面の柔らかさ。ここだけでも絵画を見るようであり、いつまでもここに座っていたい気がする。(玄関に座り込むなよ! )  

 



 二階建てビル形式の建物に入ると、正面に大きなガラス窓が断ててあり、そのガラスに沿って建物の内側から、庭を眺める方式になっているようだ。大勢の人がガラスに沿ってぞろぞろと歩いている、人が多いわりには皆黙し意外に静かだ。

 

 

 ぞろぞろくっ付きながら回ってみて驚いた。まず、ガラスがきれいに磨き込まれていて汚れが一点もない、そして枯山水の白砂の上に枯葉の一枚たりとも落ちていない、更に、植え込みの躑躅徒長枝の一本も見当たらない。

 これは毎日の手入れによるものなのだろう。凄いことだ。聞くところによれば、向こうの雲の下の山は道を挟んでだいぶ離れているのだが、この山を借景として管理するために、美術館が買い取ったらしい。

 

 白砂の川が清々しい、芝の明るい緑、躑躅の影をつくる緑、松の淡い緑、その緑の向こうの、青い淡い山の稜線が奥行きを醸し出し、風景はどこまでも閑寂として静まっている。日本庭園の静寂が感じられる。

 「見る人に気持ちよく見せる」ただこの一点に集中されている。

 こういうのは、四の五の言わず下手な写真だけど、見てもらった方がいいかも。

 

 


 借景の向こうの山に、細い滝が落ちているのが見える。前景の庭の景色と借景はまさに混然一体となって、一つの風景を生み出しているのだと思う。べつだん、日本庭園を観賞する見る目があるわけじゃないけれど、そのように感じ取れる。

 


 奥の方へと進むと、今度は池泉庭園になった。ここでもやはり、向こうの山が風景を造り出している。水の濃い緑と、松の柔らかな緑と、遠くに霞む水色の山と、いい具合に調和して幽玄を思わせる景色となっている。碧玉のような水の中に錦鯉が泳いでいた。

 


 池泉庭園の裏側には額縁の風景が見られる。カメラが自動焦点だからどうしても手前の額縁にピントが合ってしまい、うまく調節できいない。しかしまあ、これも一つの話題として、一応シャッターを切った。

 

 

 
 さてこれで、美術館の庭園を一通り見たわけだが、出来るならばガラス越しでなく、縁側などに腰掛け、庭園を吹き渡る風を感じながら見たいなあ、と思った。そうするとたぶん、感じ取るものが何か違ってくるような気がする。

 この庭園はしかし、お為ごかしの大名庭園でもなく、小難しい禅寺の庭園でもなく、庶民が見て「いいなあ」と感じる庭園であるように思う。言ってみればそれは、「安直」ということになるのかどうか知らないけれど、それでいい。

 

 

 美術館の二階には、他に魯山人の展示、東山魁夷の展示などもあった。しかし魯山人はどうも、いけ好かない。まな板のようなデカイ皿、古拙をてらった大きな壺、こういう「いかにも! 」的なところが嫌だ。見なくてもいいやと思う。

 東山魁夷のほかに、「現代日本画展」があり、大きな絵が展示してあった。そちらが魁夷より興味深い。ぺったりした平面的な昔の日本画と違い、見ているとなにやらモノを考えさせられるような絵が多かった。

 

 表に出て一服するべく駐車場の端っこいくと、先客がいた。ちょっと化粧濃いめのおばさん、鳥取から来たらしい。ちょうど霧雨が降ってきて、話題にすると「この地方は今頃いつもこんななのよ」と言っていた。秋に向かう季節、北国日和定め無き。

 

 

 



 さあ、帰ろう。帰るについては、どういうわけのものか、いったん神戸の三宮に出て、中継地として一泊し、翌日、遮二無二、強引かましてどわあ~と走って、出発地にたどり着く予定になっている。

 

反省の弁 

 そんなわけで、「観光地巡りがぶっ壊れたような」旅行も、終わりなのだった。バカげた旅行だと反省するのだが、何故このような旅行をする羽目になったのか、わが心理の奥をつらつら覗いてみると、どうも二つの要因があるらしく思われる。

 

 その1つは、わが心に巣くう感傷壁であるらしい。遠い昔の郷愁にかられ、もう日本のどこにも残っていないその風景を求めて、右往左往する。だが残っていないのだからどこへ行っても、仕方がないのに、どうもそういうものを求めているらしく思われる。

 もう一つは、「スタンドバイミ―」への憧れであるらしい。少年の頃はもちろん、青年になってもスタンドバイミ―をしてこなかった。それが心にくすぶって、ときならぬ「60年後のスタンドバイミ―」をやらかす羽目になったのではないのか。

 

 こんな阿保らしいことに付き合ってくれた同行者には、まことに感謝の念しかない。よくぞ付き合ってくれたものだと思う。それもたいした文句も言わずに。いくら何でも、この後こういうことに付き合ってくれ、とは言い難い。冥途の土産にしたい。

 

 

 

最後の蛇足

 旅と言えば、西行芭蕉の旅を思いおこす。それと比較すれば、今回のは到底「旅」ともいえないから、やはり観光と旅行の中間ぐらいなものではないかと思う。それでもまあ、自分にとっては精一杯のスタンドバイミ―であった。

 旅行、観光、旅、放浪・・・似たような言葉がいろいろある。今回は「観光地巡りがぶっ壊れたような」旅行と位置付けたが、こんな旅行でもそれを「旅」と名付けられるならば、どんなにかカッコいいだろう。

 

 百閒さんは「何も用事がないけれど・・・」と言って、阿保列車を運行させる。考えてみると、どんな旅行であれ(旅であれ)、行く先に用事が待ち構えているということはない、のだと思う。もし用事や目的があるのだったら、それは「仕事」ではないか。

 最初「何も用事がないけれど・・・」を読んで、なんという変てこオヤジだ、と思ったが、よくよく考えてみれば、旅はいつだって用事も目的もない。ただそこへ行って帰って来るだけなのだ。・・・以て、百閒の慧眼と申すべきや。

 

 

 これで長年の懸案だった「旅」が、駆け足だったが、終わった。

 あとは、北陸山陰で眺めた景色を、脳みそが勝手に組み替えて懐かしむに違いない。

 まさに「ゆめは枯野を駆け巡る」になることだろう。