doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

冬空の清すがしきに鷺白し

 

 

 今月の「歩く会」は野川。冬の日が妙に温かい。

 野川は国分寺崖線に沿った湧き水を集めた川で、遊歩道や植栽が整備され、多摩地域の住民には慕わしい散歩道。この川べりを我らの「歩く会」も何度か歩き倒しているが、今日はまず、川べりにある深大寺に立ち寄る。

 

 

 深大寺は、玄奘三蔵を守護した「深沙大王」という水神の名に由来するらしい。ということは、われらの馴染みで言えば沙悟浄ということになるのかナ。創建が奈良時代の733年というから、まあちょっとやそっとではない古さだ。

 本堂のすぐ裏が国分寺崖線、そのいたるところから湧き水が流れ出している。お寺中がその湧き水の流れに囲まれて、それを集めて門前に水生植物園や山葵田(現在はなくなった)がある。名物と言われる深大寺蕎麦も湧き水のおかげだろうか。

 門前はその蕎麦屋だとかお土産屋などでにぎわっている。人が押しかける場所の蕎麦なんてもんは、と思っていたが、以前食ってみて意外や意外、まあまあ旨かったのだ。蕎麦は東京、うどんは大阪、らーめんは博多・・・でいいのかナ。

 

 

 

 

 茅葺屋根を乗せた山門から境内に入り、境内に散在する伽藍を一巡りする。今年はよほど温かいのだろうか、モミジの色がまだ十分に美しく見える。陽はぬくぬくと照り、風もないからしっとりと汗ばんでくる。暖冬大歓迎だ。

 



 境内をゆるゆる散歩してから門前の水生植物園に向かう。この季節、見るべきものはなあ~~んにもないだろうけれど、と案内人があらかじめ予防線を張っている。ではあろうけれど、逆光に映えるモミジが綺麗だからそれでよいではないかと思う。

 



 案内人の予防線のとおり、植物園は蘆が茫々と茂っているばかり、ショウブやアヤメの株から来年の芽が若々しく伸びていた。生あるものはみな枯れていくのだから、これは仕方がない、枯れるを楽しむってテもあるぞ。

 

 植物園の裏の小高い「深大寺城跡」に登る。坂の途中の紅葉が陽光を背にして、煌めくように光っていた。今年は錦秋の美に出会うことが多かったような気がするなあ。曲輪跡とか空堀跡とか、跡ばかりだが、台地上の広場は空気が旨い。

 16世紀前半に南関東を舞台に繰り広げられた上杉氏と小田原北条氏(以下、北条氏と記す)との攻防の中、扇谷上杉氏が再興した戦国時代前期の城館跡です。平成19年(2007年)7月に一部が国史跡に指定されました。(調布市webサイト)

 

 

 

 

 さて、深大寺関連を後にする。どうやら時間が押しているらしく、案内人がすんげえスピードで歩き始めた。みな、必死で付いていく。勘弁してくれよナ、年寄りなんだから少しは労わってくれたらどうなんだ、ええっ! ああ、齢は取りたくねえ(つくづく)。

 途中で、民家の庭の禅寺丸(柿の実)の古木を眺め、自由民権のお寺、祇園寺で板垣退助が植えたと言われる松をうち眺め、ずんずん、どこどこ歩き倒すから、ぜいぜいふらふら付いて行き、ようやく野川の遊歩道に至る。

 

 

 


 深大寺近辺の湧水が合流した野川は、けっこう豊かな水量をたたえて流れていく。歩く游歩道に陽が燦々として、みな防寒着を脱ぐ始末、中には日傘をさす女の人もいて、これで12月の陽気かよ、なんなんだ! ちっとやそっとの騒ぎじゃない。

 川の岸辺に緑は少ないけれど、イチョウの黄金色が陽に煌めき、ミカンの実が陽を照り返す。ミカンが旨そうだな、もぎ取らないのだろうか、などと言いながら、今にも取って食いそうな人もいる。生り物はすべからく取って食わなくちゃナ。

 

  

 

 それから国分寺崖線方面に曲がって、実篤旧居の記念館に至る。なんだか森閑として様子が変だ。入口に「本日臨時休館」の札。がび~~ん、そうかそうか、そう来たか、無駄足だったのか、ふう~ん、そうなのか。

 しかし、棄る神もあり拾う人もいて、庭園は解放されている。池がある。淀んだ水に落ち葉が浮かんで、この水もまた湧水なのだそうだ。母屋は小さいが庭は広く、いちおう池泉回遊式であるらしい。ぶっくれ小屋住まいの身は、贅沢なものだなあ、と思う。

 

 

 

 さて歩きはこれで終了、12月のことだから忘年会をやろう、という魂胆であるらしい。京王線つつじが丘駅近くに辿り着いた。忘年会と言っても、みな年金の人ばかりだから、ほんの名前だけのささやかな、つつましき年忘れかい(会)? なんちゃって。

  


 こんな会場ではあるが、なあ~に、飲めばどこでも同じアルコール。

 たちまちにして、和気あいあい、みなかって知ったるの如くして。

 仍て即ち件の如し。

 

 

 

 来年またよろしくね、と別れる。

 歩くのが好きな、小さな小さな仲間同士。

 社会から離れ、ここがなんだか心地いい。